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- 大阪市 - |
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| 旧市庁舎・中之島公園・末吉橋・長堀川・水晶橋・青バス |
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| 大阪市庁舎 昭和4年11月 1929.11 撮影 佐伯真澄 |
旧市庁舎の夜景。
旧大阪市庁舎は立派な石造り建築で、夜はイルミネーションで飾られていた。当時のフィルムは感度が低く、長時間の露光によるものであろう。
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| 堂島川の夜景 昭和4年11月 1929.11 撮影 佐伯真澄 |
同日撮影された川面に映る大阪市内の明かり。遠くまで明かりの位置が低く、高い建物が無いのが解る 。
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| 土佐堀川 中之島付近 昭和4年 4月 1929.4 撮影 佐伯真澄 |
| 春の土佐堀川を行くのは乗合船であろうか。乗客数人で満員のようである。 |
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| 高島屋の遠景 大正10年 5月 1921.5 撮影 佐伯真澄 |
| 末吉橋近くより遠く高島屋を望んだ景色。手前の長堀川には小船が浮かび、木造の家並みが見える。
長堀川は昭和39年に埋め立てられて現在は長堀通りと呼ばれている。 |
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| 末吉橋付近の陸橋 大正10年 5月 1921.5 撮影 佐伯真澄 |
| 上の写真と同日の撮影と思われる。陸橋の下には大阪市電が走っている。自転車が往来していて自動車の姿は見えない。大正時代は大阪市内も渋滞や混雑とは無縁であったようだ。 |
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| 中之島公園 昭和4年 4月 1929.4 撮影 佐伯真澄 |
| 春の公園のひとコマ。後ろの橋は難波(なにわ)橋である。 |
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| 中之島公園 昭和4年 4月 1929.4 撮影 佐伯真澄 |
| 春のベンチで新聞を読む人。新聞は少し小さいタブロイド紙の様だ。鳥打帽は当時の流行か。 |
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| 難波橋 昭和3年 8月 1928.8 撮影 佐伯真澄 |
| 中之島公園の難波橋。橋の上には車の姿も無く、人が歩いてゆく。 |
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| 水晶橋 昭和4年 1929 撮影 佐伯真澄 |
| 竣工したばかりの水晶橋。後方の建物は大阪の裁判所。左右下端の白いものは印画紙の装飾である。 |
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| 道頓堀朝日座前 昭和初期 1926〜1936 撮影 佐伯真澄 |
| 道頓堀朝日座では活動写真がよく上映されていた。手前は券売り場の手すりである。
道はきれいだ。蛇の目傘を差している人が多い。 |
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| 青バス 昭和初期 1927〜1936 撮影 佐伯真澄 |
| 大阪市内を走る青バス。青バスは私鉄の関係も営業しているバスのことである。これに対して大阪市営バスは銀バスと呼ばれていた。この青バスの色はブルーでは無く、濃い緑色に塗られていた。緑色も青と呼んだ時代である。 |
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| 大阪梅田阪急ビル前 昭和初期 1927〜1936 撮影 佐伯真澄 |
| 中央に大阪市営の銀バスが写っている。 |
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| 天王寺動物園 昭和11年3月27日 1936.3.27 撮影 佐伯真澄 |
| シマウマのコーナー。柵は金網が張られただけの簡単なものだ。子どもたちが多い。 |
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| 蝉取り 昭和9年8月 1934.8 撮影 佐伯真澄 |
| 大阪市東区十二軒町での夏の風景。虫取り網ではなく、トリモチで蝉取りをする子どもたち。 |
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| 大阪の路地裏 昭和6年 1931 撮影 佐伯真澄 |
大阪市東区十二軒町の様子。自転車やリヤカーが置かれ、木造の家屋が写っている。夏の撮影らしく、床机(しょうぎ)が置かれ、人々はここで夕涼みをしたことであろう。
この町並みも昭和20年の大阪大空襲によって灰燼と化した。焼夷弾爆撃に逃げ惑う人々は「清水谷の女学校に逃げえ!」と叫んだという。 |
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| 軍装少年 昭和8年 1933 撮影 佐伯真澄 |
| 子どもたちの遊びは戦争ごっこであった。軍装は陸軍ではなくセーラー服なので海軍式の様だ。写真の少年は当時6歳の筆者の父である。 |
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