引き出しをたくさん持っているということ

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「引き出しをたくさん持っていることに驚いた」とか「引き出しを増やしていきたい」という言葉を初めて聞いたのは20代の頃だろうか。
最初この言葉を聞いたとき、まったく意味が理解できなかった。
知識や技術、技能、芸、経験、ノウハウ...といった形のないものが、引き出しに入っているというイメージがどうしても湧かない。引き出しがびっしり並ぶ空間を想像すると恐怖心すら覚える。
私に見えないものが見えている人たちがいる。いったいどんな風に見えるのだろうか。古い和箪笥の小引き出しだろうか。あるいは薬や標本を保管するような大量の小引き出しだろうか。

私には知識や技術や経験といったものは、グラディエーションの葛湯のように見える。色は薄くて形もはっきりしないが、いろんなものがどろどろと混ざっていて、使うときはすくい上げたり取り出したりせずに、自然に染みこんでくる。

引き出しは1つ2つと数えられるからデジタルだ。どろどろの葛湯は形もはっきりしないアナログだ。文系や芸術系の人たちがデジタルで、理系の私がアナログなのだろうか。ところが私はアナログ時計が苦手だ。短針と長針をまちがえたり、目盛りを読みまちがえたり、時計を見てもすぐに時間が分からない。その点、デジタル時計は一目瞭然で分かりやすい。

どうしても理解できないことがいろいろあるが、「心の引き出し」はその中の最たるものだ。どうしたら引き出しが見えるのだろう。何がちがうのだろう。

 

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このページは、佐伯英子が2014年4月27日 13:52に書いたブログ記事です。

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