2014年4月アーカイブ

「引き出しをたくさん持っていることに驚いた」とか「引き出しを増やしていきたい」という言葉を初めて聞いたのは20代の頃だろうか。
最初この言葉を聞いたとき、まったく意味が理解できなかった。
知識や技術、技能、芸、経験、ノウハウ...といった形のないものが、引き出しに入っているというイメージがどうしても湧かない。引き出しがびっしり並ぶ空間を想像すると恐怖心すら覚える。
私に見えないものが見えている人たちがいる。いったいどんな風に見えるのだろうか。古い和箪笥の小引き出しだろうか。あるいは薬や標本を保管するような大量の小引き出しだろうか。

私には知識や技術や経験といったものは、グラディエーションの葛湯のように見える。色は薄くて形もはっきりしないが、いろんなものがどろどろと混ざっていて、使うときはすくい上げたり取り出したりせずに、自然に染みこんでくる。

引き出しは1つ2つと数えられるからデジタルだ。どろどろの葛湯は形もはっきりしないアナログだ。文系や芸術系の人たちがデジタルで、理系の私がアナログなのだろうか。ところが私はアナログ時計が苦手だ。短針と長針をまちがえたり、目盛りを読みまちがえたり、時計を見てもすぐに時間が分からない。その点、デジタル時計は一目瞭然で分かりやすい。

どうしても理解できないことがいろいろあるが、「心の引き出し」はその中の最たるものだ。どうしたら引き出しが見えるのだろう。何がちがうのだろう。

 

今年の冬から、小さな子どものナメクジが風呂場に出没するようになった。浴槽はステンレス製で壁との間に30cmくらいのタイル面があり、石けんやシャンプーを置いている。子どもナメクジはその付近から、シャワーの混合水栓付近にいる。

生まれたての米粒より小さいものから、はっきりナメクジとわかる1cmくらいのものまで、日替わりでやってくる。よく見るとカタツムリのようにツノ(目)があって、可愛らしいと思う瞬間もあるが、やっぱり気持ち悪い。シャワーのお湯がかかって流れて来てもいやだし、まして殺生は避けたい。やはり若干のストレスになる。

ところが昨夜、いつものようにナメクジを見ながらシャワーを浴びていると、水滴を嫌ったナメクジが浴槽とタイル面の間の割れ目に入っていくではないか。おそらくここからやって来たのだろう。なるほど、ここだったのか。この割れ目は阪神大震災のときにできたもので、壁面のタイルも一番下の段は横にヒビが入っている。地震の夜このヒビを発見して、「座屈」という言葉がうかんできて震え上がったものだ。

地震の後、ヒビや割れ目をパテで補修していたが、去年の暮れ頃にパテが取れてそのままにしていた。小さな割れ目なので、大きなナメクジは通れない。だから子どもナメクジばかり出没するようになったのだろう。この床下がどうなっているか今は考えないことにして、まずはパテで補修することにした。床下が乾燥していることは、今年1月に猫が入り込んだときに確認しているので、今は出入り口をふさぐだけにしておこう。

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